仙台高等裁判所秋田支部 昭和54年(ネ)23号 判決 1980年8月27日
控訴人(附帯被控訴人・第一審被告) 鹿角市
右代表者市長 阿部新
右訴訟代理人弁護士 内藤庸男
同 内藤徹
被控訴人(附帯控訴人・第一審原告) 株式会社十和田農場
右代表者代表取締役 永見勝茂
右訴訟代理人弁護士 金野繁
主文
一 原判決中、控訴人(附帯被控訴人)敗訴の部分を取り消す。
二 被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。
三 附帯控訴人(被控訴人)の附帯控訴を棄却する。
四 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
事実
(以下、控訴人(附帯被控訴人)を控訴人と、被控訴人(附帯控訴人)を被控訴会社という。)
第一当事者の求めた裁判
(控訴)
一 控訴人
主文一、二、四項と同旨。
二 被控訴会社
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
(附帯控訴)
一 被控訴会社
1 原判決を次のとおり変更する。
控訴人は被控訴会社に対し、原判決添付目録記載の土地について昭和四七年三月三〇日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
2 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
二 控訴人
1 主文三項と同旨。
2 附帯控訴費用は被控訴会社の負担とする。
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人)
一 本件売買契約書は、その作成日付である昭和四七年三月三〇日ではなく、その後である旧十和田町消滅後に、高橋旧町長が旧町長印を冒捺して作成したものであって、その法的効果が発生しないことは、控訴人が請求原因の認否(一)、(二)(原判決四枚目表四行目から一〇行目)に述べたとおりであるが、このことは、次の各事実に照らしても明らかである。すなわち、
1 本件売買契約書(甲第二四号証)作成の元となった決裁伺(乙第三号証の一)は、昭和四七年三月三〇日に作成されたことが明らかな決裁伺(乙第五号証)とくらべると、その使用用紙が異なり、その体裁などが著しく相違している。
2 右三月三〇日には、町議会で、本件土地を成田勝太郎外六一名の地元民に払下げる旨の議案が可決されており、その同じ日に、これと矛盾する被控訴会社に対する売買契約書を、町長が作成するはずがない。
3 被控訴会社代表者永見勝茂が成田直利と成田勝太郎に宛てた手紙(乙第一五号証、同第一六号証の一)は、同年六、七月ごろになっても、本件売買契約書が作成されていなかったことを前提とした内容となっている。
4 右永見は、本件土地を一日も早く被控訴会社名義にしたいと切望していたのであり、旧町長が本件契約書を同年三月三〇日にすでに作成していたとするなら、右永見がこれを四か月も押印しないまま放置するということは経験則に反し、ありえないことである。
5 本件契約書作成に関与した当時の旧町財産管理係長藤田雄一は、昭和四七年一二月ころ控訴人の助役高石善助に事情をきかれた際、同年七月二〇日ころ廃印を盗用して決裁書を作成のうえ、右契約書を作成したことを告白している。なお、右藤田は原審および当審証人としては、右契約書が同年三月三〇日に作成されたと証言するが、その証言する右契約書の作成状況はきわめて不自然であって、措信できないこと明らかである。
二 旧町議会が昭和四七年三月三〇日に議決した本件土地払下議案の払下の相手方が地元民であることは、控訴人が請求原因の認否(四)(原判決四枚目裏六行目から一〇行目)に述べたとおりであるが、それは、次の事情に照らしても、明らかである。
1 本件土地は、元小学校分校敷地であり、昭和二五年に地元民が営林署に右敷地とするために陳情して貸与をうけ、その後、町に払下げられたものであった。そして、分校が廃校となった後の昭和四六年に、被控訴会社は町からこれを借りて山菜加工場として使用してきたが、その経営は不振で、また、口では地元の発展を言いながら、山ごぼうの契約栽培用の種子を高値で売りつけたりしたことや、更に、代表者永見が住居地の長野県飯田市で経営する食品加工工場も零細企業にすぎないことが判明するなどしたため、地元民の右永見に対する不信の念が強まった。
2 そして、旧十和田町の合併・消滅にともなう町有財産処理問題が生ずると、被控訴会社は、本件土地の払下をねらって町議会に陳情をしたが、地元部落では、会社育成の立場は変らないものの、町有財産が他県人の経営する被控訴会社の所有になることは地元民の利益にならないとの見方から、本件土地の所有権は地元民が得ておこうとの意見が強く、地元民である成田勝太郎外六一名は、町議会に対し本件土地を右六二名宛払下げられたい旨の陳情をした。
3 町議会では、町有財産処理特別委員会を設置し、本件土地については、主として被控訴会社と地元民とのいずれに払下げるべきかを町長、助役出席のうえ多数回協審したが、結局、地元民への払下を相当と決したのであり、なお、地元民の代表は右委員会で陳情の趣旨説明をしているが、右永見は全く姿をみせなかった。
4 そして、右委員会の結論をうけて、昭和四七年三月三〇日町長は成田勝太郎外六一名に本件土地を払下げる旨の三〇号議案を提出し、町議会は町長・助役の出席している議場でこれを可決したのである。
三 なお、被控訴会社に払下げる旨の議決がない以上、仮に、その旨の契約書が作成されたとしても、それにもとづく売買契約は当然無効と解すべきであり、控訴人が請求原因(六)(原判決三枚目裏八行目から四枚目表一行目)で主張するような表見代理の法理の適用は相当でない。
しかも、仮に、右表見代理の法理の適用の余地が法理論としてはありうるとしても、本件においては、被控訴会社は前記のとおり町議会が本件土地を地元民に払下げる旨の議決をしたことを知っており、したがって、また、町長が被控訴会社に本件土地を売渡す権限がないことも知っていた。仮に、被控訴会社が町長にその権限があると信じていたとしても、そのことについて正当の事由はない。これらの点は、次の事情に照らし明白である。
1 前記のとおり町議会の前記特別委員会では、本件土地の払下の相手方を被控訴会社にするか、地元民にするかを長期にわたり論議したのであり、その帰趨について、被控訴会社代表者永見が無関心であるはずがない。
2 本件売買契約は、時価一、八〇〇万円以上の旧学校敷地と建物を、無償に近い条件で払下げるというものであるから、町議会の議決がないかぎり、町長に契約締結の権限がないことは被控訴会社でも当然認識すべきであり、また、その議決の有無を確認すべきであるのに、それをしていない。
3 むしろ、被控訴会社代表者永見は、払下の議決が地元民に対してなされたことを明確に知っていたからこそ、同年三月から七月にかけて、地元民から被控訴会社への本件土地再譲渡の工作を展開したとみるべきである。
4 そして、自ら地元民への払下を内容とする議案を提出した町長自身が、その払下議決がこれに反して被控訴会社に対するものと誤解するような余地は全くない。
四 被控訴会社の付加主張二は争う。
(被控訴会社)
一 控訴人の付加主張一ないし三の事実は、すべて争う。すなわち、
1 本件売買契約書の成立については、これを起案した藤田雄一の証言のとおり、これが昭和四七年三月三〇日町長により押印されたことは動かすことのできない事実である。
2 また、本件土地払下議決の相手方については、町議会では、特別委員会でも、また本会議でも、成田勝太郎外六一名とは被控訴会社を実体的に表示した同一の人格者であるとみなされており、したがって、その議決は成田勝太郎外六一名こと被控訴会社に対してなされたものである。このことは、成田勝太郎外六一名名義の陳情書(甲第一四号証)の趣旨からも明らかである。
二 請求原因(四)末尾(原判決三枚目表一〇行目から同裏一行目)の主張を補足すると、町長が権限をもって作成した契約書である以上、被控訴会社がこれに押印した際に町長の権限が消滅していたとしても、控訴人側でその意思表示を撤回した事実がない以上、その文書は右押印によって完成されるものと信ずるのが当然である。
第三証拠《省略》
理由
一1 被控訴会社が昭和四七年三月三〇日に旧十和田町と本件土地の売買契約を締結し、同日その旨の売買契約書を作成したこと(同日被控訴会社も右契約書に押印したとの点を除く。)について、これに副う証拠として、《証拠省略》が存在する。すなわち、当審証人藤田雄一(第一、二回)は、昭和四七年三月三〇日当時十和田町財産管理係長をしていたが、同日午後三時ころ町助役守田欽一と相談の上、本件売買契約書原案(乙第三号証の二)を起案して、これが決裁伺(同号証の一)により助役、町長の決裁をえて、同日午後五時すぎに右原案どおりのタイプ印書をし、同日午後六時ころ文書係の女子事務員から町長印を借りて、これに押捺して売買契約書(甲第二四号証、乙第三号証の三)を作成した旨の証言をし、また、《証拠省略》によれば、右藤田は、昭和四八年一月一二日開催の控訴人の議会の十和田農場調査特別委員会において、ほぼ右証言と同旨の供述をしていることが認められる。また、当審証人守田欽一は、右三月三〇日当時、十和田町助役であったが、同日本件売買契約書に町長印を押すことで決裁したので、同日の町議会終了直後に町長印が押捺されたことは間違いない、契約書原案の起案については、自分は指示しておらず、担当課長が藤田に指示したと思う、また、町議会で払下議決があったことについて、被控訴会社代表者永見勝茂に連絡したことはない旨の証言をし、更に、《証拠省略》によれば、右守田は、昭和四七年一二月二七日、同四八年一月二〇日および同月二七日開催の前記調査特別委員会において、ほぼ右証言と同旨の供述をしていることが認められる。そして、原審および当審において、被控訴会社代表者永見勝茂は、右三月三〇日に住居地の長野県飯田市から十和田町役場に電話をした際、守田助役が、本件土地を被控訴会社に払下げる旨の議決があった、文書は私の方で作っておく、と述べたと供述する。
2 しかし、右掲記の各証拠は、藤田に本件売買契約書の起案を命じたものは誰か、右三月三〇日に守田助役と被控訴会社代表者との間で果して電話連絡があったのかどうかなど、その細部において相互に食い違いがみられ、また、各証言、供述自体、同一人の証言供述の他の部分との間で一貫性に欠け、また不自然な点がみられるばかりでなく、次に認定する各事情に照らしても、到底これを措信できない。
すなわち、《証拠省略》によれば、次の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
(一) 本件土地売買契約の決裁伺(乙第三号証の一)の使用用紙は、昭和四二年ころまで使用されていた旧用紙であるが、しかし、昭和四七年三月三〇日当時は、これに代り乙第五号証のような新用紙の使用が一般的であった。
(二) また、右決裁伺(乙第三号証の一)には、通例に反し、助役、町長の決裁印のみで、起案者の直接上司である担当課長の決裁印がなく、なお、一般に公印使用の場合には、決裁伺の該当欄に文書係長が検印するのが建前であり、仮に町長自らが公印を使用した場合においても、事後に、文書係長がこれを確認のため右欄に押印することになっていたが、この決裁伺には、右文書係長の押印がない。
(三) 昭和四七年三月三〇日は、十和田町が同月末で合併消滅する直前であり、十和田町役場内は、移転・事務引継のため雑然としており、前記藤田雄一の机もないような状態であった。
(四) 本件土地払下についての議案は、右三月三〇日に町長から町議会に提案され、同日午前一一時三〇分すぎに可決されたが、同時に可決された他の二五件の払下分については、町長により執行されることなく、控訴人に引継がれた。しかも、右の計二六件の町有財産処分について、町議会に設置された町有財産処理特別委員会において、その払下の相手方について最も議論がなされたのは、本件土地払下についてであった。
(五) 右三月三〇日、藤田雄一は少なくとも午前中は新市庁のおかれる花輪に出張している。
(六) 十和田町長が昭和四七年四月一七日に事務引継のため、控訴人に交付した事務引継書(乙第一九号証)の財産目録には、本件土地も町有の普通財産として登載されている。
(七) 被控訴会社は、払下議決前から一日も早く本件土地を入手して、これを担保に営業資金を借入れたいと切望していたのに、本件売買契約書(乙第三号証の三)に被控訴会社が押印したのは、昭和四七年七月二〇日ころであり、しかも、押印場所は前記守田が支所長をしていた控訴人市十和田支所であった。
(八) 被控訴会社代表者永見は、昭和四七年六月一五日発信した同社取締役成田直利(同月はじめ辞意を表明していた。)に対する手紙(乙第一五号証)、同年七月三日発信した同社取締役成田勝太郎に対する手紙(乙第一六号証の一)において、そのころ、まだ、本件土地払下の契約が出来ていないことを前提とするような記述をしている。とくに、乙第一六号証の一では、同年三月三一日付で旧町長から売買代金の領収書を貰うことを提案している。
(九) 藤田雄一は、昭和四七年七、八月ころ旧十和田町町議会議員であり、控訴人の市議会議員であった田原昭三に対し、本件売買契約書(乙第三号証の三)を同年七月二〇日ころ作成し、町長印は保管庫から無断で持ち出して冒用した旨の告白をし、又、同年一二月中旬ころ控訴人の助役高石善助に対しても、ほぼ右同旨の告白をしている。
(一〇) 旧町長印は、合併後、控訴人の十和田支所の廊下のキャビネット中に保管されており、右キャビネットは、勤務時間中は施錠されていなかったので、保管責任者以外の者が同印を無断使用することは可能であった。
3 そして、昭和四七年三月三〇日に本件土地の売買契約が締結されたこと、同日その旨の契約書が作成されたことのいずれの点についても、他にこれを証するに足りる証拠はない。かえって、右2で認定した事実を総合すると、本件売買契約書は、旧十和田町消滅後に、藤田雄一がすでに権限を失った旧町幹部の指示にもとづき、旧町長印を冒用して作成したものと推認され、これに反する前記1掲記の各証拠は直ちに措信できず、他にこの推認を覆すに足りる証拠はない。
二 なお、被控訴会社は、本件売買契約書作成が旧十和田町長の権限消滅後であったとしても、被控訴会社はこれが右権限消滅前に作成されたと信じたのであり、かつそのように信ずる正当事由があると主張するので、この点について判断する。
被控訴会社が本件売買契約書に押印したのが昭和四七年七月二〇日ころであることは前判示のとおりであり、当審における被控訴会社代表者尋問の結果によれば、その当時、被控訴会社代表者は十和田町が同年三月末をもって消滅し、これにより、町長に町を代表する権限がなくなったことをすでに知っていたことが認められる。そして、前記一2(七)(八)で認定した事実によれば、被控訴会社代表者は、本件売買契約書の町長作成名義部分が同年四月一日以降に作られたことを知っていたと推認することができ、原審および当審における被控訴会社代表者尋問の結果中、右推認に反する部分は、直ちに措信できず、他に右推認を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、被控訴会社は権限のない者が作成した売買契約書であることを知りながら、これに押印したことになり、したがって、これに反する前記被控訴会社の主張は理由がない。
三 よって、その余の点について判断するまでもなく、被控訴会社の本訴請求はすべて理由がないことになり、したがって、その請求の一部を認容した原判決は、そのかぎりで失当であるから、原判決中右の部分を取り消して、その請求を棄却することとし、また、原判決中被控訴会社の請求を棄却した部分は相当であるから、被控訴会社の附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田健次 裁判官 吉本俊雄 小林克巳)